新潟・福島大水害

先々週の週末は大変だった。
木曜日、客先訪問の前後から大雨でR235は案の定、通行止めとなった。
わずか数100メートルの間なのに何kmも迂回しなくてはいけない。帰社時にはチームのメンバの早めの帰宅を促した。しかし事態はそれに留まらず更に悪化の方向へ。家に帰ると1階作業場は水浸し。なんでも家の前後の川が大雨で氾濫したとか。

翌日、天気予報は「曇りのち雨」のような感じ。「今日は大丈夫だよね」という会話で1日が始まった。パラパラと雨は降るものの時折日差しも出て安心していた。その裏で三条では大雨警報が出て大変なことになっているようなので、在市の社員を気遣う余裕がその頃はあった。

しかし状況が一変したのは定時を過ぎて19時くらになった頃だった。ゴロゴロと雷鳴が遠くに聞こえたと思ったら、時間を置かずにビカッ!!同時に停電。30秒後にすぐに復旧したが、デスクトップで作業をしていた先輩は悲鳴を上げるしかなかった。リブートの最中にもう一発。・・・悪夢。

これはもう仕事にならないと思い、早々に帰宅のムードになった。雷鳴轟く外を見れば、これまで見たこともないような豪雨。意を決して10m先の車に飛び乗ったが、それでも衣類や靴はビショビショの状態になった。

帰途の道路は既に洪水状態で車の水没を心配するような状況だった。やっとの思いで家に着くと、昨日浸水した1階作業場には今日もみるみる浸水を始めているところだった。親は雨合羽を着て応急処置をとっていたが、自分は役に立たずただただ傍観していた。

テレビの緊急速報で「記録的短時間大雨情報」を10分おきに確認して2時間くらい経っただろうか。雨脚がやや弱くなったので外を確認してみた。家の前の道は濁流。前後の川はすでに見えず、その間にある我が家は池も花壇も畑も水に埋まり孤島と化していた。そうフランスの「モンサンミッシェル」のよう。すぐそこの交差点では南に行く道路に向かって3方向からの大渋滞になっていた。
野次馬根性が顔を覗かせ市内がどうなっているのか見てみたくなった。交差点の渋滞を尻目に反対方向の山側の国道方面へと車を走らせると、あるはずの信号が消灯状態。南に向かう道は通行止めになっていた。これが原因だ。
そのあと進路を北にとり川治橋までいくと、作業者が「ゆっくりと橋の真ん中を通ってください」。一休さんの一場面のようだった。
山本の交差点は八箇方面からの土石流が流れ込み、八箇方面、本町方面とも通行止め。行ける道は西の警察方面しかなかった。警察署の交差点で止まると、目の前のバイパスも通行止めの看板が。よく見るとバイパスの掘り込みの遥か高い位置に水面が見えた。そして水没した車も。

ここまで来ると、尋常ではない事態に、それも想像を大きく上回った状態になっていることは分かった。街中生臭いにおいで満たされていた。
このあと別の場所を回っても2次災害の恐れもありそうなので、セブンでアイスを買って早々に引き揚げた。

翌朝、亡くなった方や行方不明の方が出ている事態になっていることをニュースで知った。また、被害がわずか幅数kmの局所に集中していたことにも驚いた。7年前の豪雨は大きな被害にならなかったけれど、今回はヒドイ状況だ。我が家の田畑山も被害を受けたが、六箇の親戚は断崖崩落の直撃を受けて住めないことになった。
被害に遭われた方々には改めてお見舞い申し上げたい。